今田耕司は定時制高校出身で、浜田雅功と同じ高校だった、過酷な高校なので脱走していた。

名前だけ聞くと大阪では、名の知れた名門高校である、清風高校という名門の高校を卒業しているんです、とくれば、今田さんって勉強できたんですね、優秀なんですねとかおもうかもしれませんが如何せん定時制高校なのでそこは偏差値は関係ないようですね。

それでは、そんな今田耕司さんの高校時代はなにがあったのかということを深堀していきたいと思います。

今田耕司さんは、ラーメ屋の店長に言われて定時制高校に進学した。

今田耕司さんは、三重県にある高校をなんと中退しているのですね、日生学園第一高校という高校を中退しているという記録があるようですね。
その後は、大阪の名門私立である清風高校の定時制に入学しているんですね、この清風高校はきちんと卒業されているようです。
大阪の清風高校は、偏差値が65以上ということでかなりの私立の中でも優秀な高校になります。今田耕司の入ったのは定時制高校ということでそんなにも優秀とかいうような概念はないですね。
今田さんが、三重県の日生学園第一は、正直言って名門高校ではありませんので、せいぜい偏差値で換算しても40くらいではないかと思いますね。
ということは、定時制に偏差値もなにもないと思いますが、たいていの人は入学や編入ができるのではないかと思います。
まあ、学校というものは偏差値だけでいい悪いを評価するのもどうかと思いますので、ただ学力レベルが高いかどうかということですね。
それよりも今田さんのいいところは、一度高校を退学してしまっているのにまた学校に行こうと思ったことであると思いますね。
高校中退後にラーメン屋でバイトしているときに、ラーメン屋の店長に高校は卒業しておいたほうがいいぞ、と言われたそうなんですね。
それがきっかけで高校に編入しようと思ったそうなんですね。
ラーメン屋でバイトしていた時は、ラーメン屋の店長を目指していたらしいのですが、それをきっかけに高校に編入しようとしていたんですね。
清風高校には、卒業生に、金メダリストで格闘家であり柔道家の石井慧さんや秋山成勲やさんなんかもいて結構有名人がたくさん輩出しています。

今田耕司が高校時代に脱走したことがあるほどスパルタ高校だった

 

なんとも高校時代なんですけども、脱走したってどういうことなんだよっていいたくなりますね。なんとも穏やかではないのではないでしょうか。刑務所かよっていうようなニュアンスなんですけども、実際のところ本当なんですね。

日生学園第一て言う高校なんですけどね戸塚ヨットスクールも顔負けの超がつくほどのスパルタ高校なんですね、厳しいということで、想像のとおり全寮制の高校なんですね。

当然のことテレビなんかにもとりあげられることもたくさんあったということなんですね。

今田耕司さんは2回ほど夜逃げじゃなかった、脱走しているんですね。全寮制でなんと外出も禁止されてくるくらいのレベルの厳しいところなんですね。

毎朝はジョギングはあたりまえで、トイレ掃除はするときは素手で便器を洗わされるこんなのは当たり前なんですね。

そんな、厳しい環境に嫌気を指して、今田耕司さんは高校1年生の時に一年もたたない間に2回も脱走しているんですね。

一回目は失敗したようですが、2回目は見事に成功して晴れて退学することができたのですね。

毎朝4時半起床でそこから2キロのランニングが毎日あり、その後1時間かけてトイレやら部屋の掃除これがなんと授業の前にやるそうなんです、そして放課後には10キロも走る、マラソンがあるだそうですね。それも毎日なんですね。

水は勝手に飲んではだめで、お菓子や甘いものは禁止なので手に入らない、もちろん見つかれば没収です。自由や娯楽はもちろんなし、修学旅行や遠足なんかもってのほかなんでなしです。

外には自由に出られないし、本格的に少年院みたいですね。いやこれは少年院よりもきびしくないですかね。基本的人権なんかどこにもないですね。

なんと脱走するのはトイレの窓から脱走したのだそうですね。草むらに隠れて、駅なんか最寄り駅は絶対に使わないで、山を2つも超えていったそうですね。

脱走仲間とは遠く離れたところで合流したそうです。見事に少年院のような高校から脱走したんですね。

先ほど浜田雅功さんも同じ高校出身だと書いたと思うのですけど、脱走経験があるそうなんですね、この浜田さんが立派なのは、きちんと卒業してしまっているんですね。

こんな厳しいところなのに、ダウンタウン浜田さんは卒業してるなんてやっぱりすごい人なんですね。

根性が座っているような風貌はきっとこんな高校生活の経験があったからこそ、根性が身についたのではないかと思いますね。

今田耕司の清風高校での定時制の生活とは

 

 

今田耕司さんは定時制高校出身ということで、もちろん夜に授業があります。

基本的に、18時から21時の間で授業をしています。日中は仕事をしている人がほとんどである。年齢も高めでいろんな世代がいます。

授業は4時限までだったそうですね。いろんな風変わりな生徒が多くて、いわゆるおっちゃんやおばちゃんが多かったそうです。

とある生徒さんは、日中はスーパーで店長しており、もちろん年齢は30歳オーバーなんで、たばこは吸うはで破天荒だったそうです。

ただ公然とたばこを吸うわけにはいかないので、吸うときは隠れるようにトイレにこもってたばこを吸っているんだそうです。

まるで、普通高のヤンキーみたいですね。いやいや、店長さんですから立派な社会人なんですね。

また、休憩時間に食事するのにいちいち漬物をたくさん持ってくるおばさんもいたとか、なんとも変わった学園生活ですね。年齢層が高いのは定時制高校ならではの環境なんですね。

定時制高校卒業後に今田耕司はどうなった

今田耕司さんは、一度ラーメン屋になりたかったと述べましたが、美容師とかすし職人になりたかったんですね。しかしお金もなかったし、水商売には手が荒れやすいとか支障があったために吉本総合学院、NSCに入学したんですね。

今や若手のお笑い芸人の登竜門になってますけど、当時はマイナーだったんですね。入学金も5万円と割安だったのもよかったということなんですね。

1986年には、130Rになる前のほんこんさんとコンビを組んで芸人デビューするんですね。

ダブルホルモンズっていうコンビなんですね。その後もちろん解散してしまうのですが、これが今田耕司が芸人として当時の2丁目劇場、心斎橋にあった劇場でのデビューがきっかっけとなったのですね。

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