上田晋也の学歴は超高偏差値、名門の済々黌高校と早稲田大学出身である

くりぃむしちゅーの上田晋也さんは熊本の名門高校の出身で大学は早稲田大学が出身であるということです。そんな上田さんがどんな中学校や高校時代をすごしていたのかということを解説していきたいと思います。

本名 上田晋也うえだ しんや

熊本県熊本市出身

誕生日197057

身長172㎝ 63kg

血液型O型

 

上田晋也の学歴まとめ

熊本市立日吉小学校出身

熊本市立城南中学校出身

熊本県立済々黌高校出身

早稲田大学 教育学部中

高校と大学は超難関校のようですね、いずれにしても相当勉強のできる人が行く学校にいっていたようですね。

上田晋也は熊本市立日吉小学校の出身、家は熊本市南区のプロパンガス屋さん

 

熊本県 熊本市立日吉小学校画像

上田さんの出身小学校は、熊本市の日吉小学校です、当然普通の公立の小学校です。

3つ年上の兄と3つ年下の妹の3人兄弟です。父と母で5人家族ということです。

お父さんの仕事は、熊本市の南区でプロパンガスの会社をやっていたということです。ガス会社ということで結構家は裕福であったのではないかと思われます。上田さんは、バラエティでも見せるような知的な印象がありますが、小学校の頃から勉強のできる人であったということです。小学校の生徒会長を務めるほどの優等生であったということで、子供のころから優秀でリーダーシップのある人間だったのでしょう。

性格は明るくただ、落ち着きのないところがあったそうです。地元の少年野球のチームに入っていたということです。

上田晋也の出身中学は熊本市立城南中学校

上田さんの出身中学校は熊本県の熊本市立城南中学校であるということです、この中学も公立であるということです。小学校から引き続き野球をしていたということです。

ただ丸坊主ではなくリーゼントにしていたということで、少しヤンキーのような風貌をしていたのではないでしょうか、成績はよかったようなのでヤンキーではないはずですが。お笑い芸人を目指す要因は中学校時代にお笑いが好きであったということからだそうです。相方の有田哲平と同じでプロレスが大好きなのは、この中学校時代のころからプロレスを見始めたことが影響しているようです。

 

上田晋也の出身高校は、エリートが行く名門進学校の熊本県立済々黌高校

上田晋也さんの出身高校は、熊本県の済々黌高校です。なんと偏差値71を誇る超難関のエリート校だそうです。すごい。せいせいこうと読む読み方も難しいしすごい貫禄と歴史を感じますね。1879年創立の100年以上を誇る伝統校のようです。東京大学、京都大学を含む数々の国立大学や難関私立大学へと多数進学する、進学校のようです。

とくに地元の熊本大学へは、毎年100人ほど合格させる名門校のようです。

くりーむしちゅーの2人の出会いは高校時代で、上田さんと有田さんがラグビーに入っていてそこでの出会いが始まりのようです。

上田さんと有田さんが最初に話した内容は、2人の共通の趣味であるプロレスの内容だったようです。

具体的にはどんな内容であるかというと、猪木と前田どっちが強いという内容だったということから、お互いがプロレスが好きであったということがわかります。

上田さんは中学・高校時代はプロレスの新聞記者になりたかったというほどのプロレスファンであったということです。

「中・高校生の頃はプロレスの新聞記者になりたいと思っていた時もありました。好きなプロレスを毎日見られると安易に考えて」

記事引用:TVerプラス

高校時代からリーダーシップのあった上田さんは高校の番長のような存在でした。しかし、有田さんは、さすがお笑い芸人らしい面白おかしくその当時について語っています。有田曰く、上田はリーゼント頭であったことから番長と呼ばれていたそうです。しかし、真面目で女の子と話したことを見かけたこともなく彼女もいなかったことから童貞番長という呼び方をされていたということです。また、当時の高校時代にお笑いスター誕生が大流行していて、そのことに感化されてお笑い芸人をめざすようになったそうです。

 

 

上田さんは高校時代は受験に失敗して浪人しますが、1年間の浪人生活中に早稲田大学に合格します、やはりもともと勉強のできる頭の良い人はすぐに結果がでるのですね。俳優の財津一郎さんも同じ高校の出身だということです。

上田晋也は早稲田大学に合格できるほどのエリートだった。

上田晋也さんの出身大学は早稲田大学教育学部です、中退をしますが偏差値65のこちらも難関大学なんですね。

名門の済々黌高校を卒業後に一年間の浪人生活を経て名門大学の早稲田大学教育学部に進学します。

同じ大学の学年には、人気アナウンサーの羽鳥慎一さんがいます。

高校時代は番長だったリーダー格の上田さんでしたが、大学時代は友達のできずになじむことができませんでした。10個のサークルに入るのですが、なんと10個のサークル全部クビになるというネタのような生活をします。サークル内で空気を読まない行動をしたり、ひどい時には下半身の露出などおもしていたらしいのでクビになってもしかたないのではないでしょうか。

上田さんは、大学になじめなかったことから5月の連休前に大学生活が終わっていたということです。また、有田さんも同時に大学生活がうまくいっていなかったこともあり、

有田さんを誘って一緒にお笑いをやろうということになったということです。

2人はこんなところからも似たもの同志だったようです。21歳の時にお笑いコンビの海砂利水魚を結成します。くりーむしちゅーになる前の前身ですね。1991年のころでその後に、タモリのボキャブラ天国などで活躍するようになります。ただ海砂利水魚時代は、上田にとっても黒歴史でありました。まったくと言っていいほども受けないネタ、すべることばかりの連続でした。

2001年に番組内でさまぁ~ずとの改名を賭けた対決に敗れてコンビ名を改名せざるをえないようになります。ただ改名を奏したのか、その後バラエティでは、鳴かず飛ばずであった彼らがようやくブレイクしつつあるようになります。

ロンドンハーツや、内村プロデュースなどで徐々に人気が出だすと、上田自身は司会者としてブレイクするようになりました。

おしゃれイズムなんかは、上田の司会者としての代表作であるといえます。

 

相方の有田さんは、プロレス噺のYouTubeチャンネルで活躍し、上田さんは、

単独でも司会者やMCとして活躍しています。、多くの番組に出演していますから、今後はもっと芸能界を取り仕切る存在になることは間違いないでしょう。

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