後藤輝基の子供時代は今と違う、中学高校時代のダサい画像

フットボールアワー後藤輝基ごとうてるもとさんの子供時代の画像TVでは、登場しては笑いをとっています。中学生や、高校生の時代は、地味であったということなんですね、いまや、そんな面影は全くはないですけどね。

フットボールアワー後藤輝基の子供時代!どんな幼少期を過ごしてきたのか|生い立ち

後藤輝基さんは、現在はいろんな意味でイケてる芸人として売れっ子ですね、しかし、幼少期は、今の活躍ほどはいけてなかったみたいですね、そんな後藤さんはどんな子供だったのでしょうか。

まず、兄弟は3人いて一番下の子だったということです。しかもお姉さんが2人もいるのですね。

女の兄弟の末っ子として育ったために甘えん坊として子供時代は育ちます。甘えん坊なので親が甘かったかというとそうではないようで、お父さんはとても厳しいしつけをされていたようですね。食事なんかは残した時は、叩かれりして結構厳しいしつけをして育ったということです。

現在は漫才師して活躍しているのですが、お笑い芸人を目指すきかっけになったのは、2番目のお姉さんがお笑いが好きであったためであったということです。お姉さんは、お笑い番組が好きで漫才の番組をよくみていたということです。幼少の頃に家族から受けた影響は大きかったのですね。このお姉さんがいばければ現在の漫才師、後藤輝基は存在しなかったかもしれませんね。

お父さんは厳しい人であったらしく、おもちゃを全くと言っていいほど買ってくれなかったということです。ただ、超合金のロボットをかって欲しいとねだったら、木製の人形のロボットを作ってくれたということで、優しくないというわけではなかったのだと思われます。ただ、木製の人形にロボットとマジックで書かれてしたということで、シュールな一面があったのではないかと思われますし、こういった経験が現在の後藤さんのお笑いのスタイルに影響をあたえているのではないかと思われます。

そんなお姉さんの影響で小学校のころからすでにお笑いの芸人に対してはあこがれをもっていました、好きな自分の姉がお笑いのファンであるがためにそうなるのは必然だったのでしょうね。

後藤輝基さんは、なんとも家族仲は良かった、みたいで、なんと中学校の時にはお母さんと2人で旅行にいっているのですね。家族旅行ならぬ母子旅行とは驚きますね。後藤さんの芸人になりたいという気持ちは大きく、中学校の卒業時の進路にお笑い芸人になると親に言って、両親にとめられるということまで起こっています。後藤さんは、お笑い芸人だけでなく芸能人になることに興味があったらしく、高校時代には、長渕剛にあこがれてギターを始めたそうです。ミュージシャンになりたいというわけではないとおもいますが、結構芸能人に影響をうけてしまう性格だったのかもしれませんね。その後、17歳で念願の彼女ができたということですが、高校卒業時に大学の受験には失敗してしまいます。おそらくは人生初の挫折ですね。19歳では、初体験をしたりと意外と普通の

若者であったとかんがえられますけど、現在では、バラエティでは、子供のころはダサかったエピソードで笑いをとったりしているのですね。幼少期のダサい写真で一発ギャグとして笑いをとっていますが、こうしてみると意外と普通だったのかもしれませんね。

後藤輝基さんは、中学校の時、母とふたりきりで旅行

後藤輝基さんは13歳の中学生の時になんと母親とふたりきりで旅行に行ってるのです。母子はきっと仲がよかったのでしょうが、なんと何のために母が旅行したのかというと、お母さんは、お父さんと離婚しようか悩んでいたということなんですね。旅行先の旅館での食事中に突然母親から私、離婚しようと思ってるのと言われたということです。なんか辛辣な話なのに、笑えてしまうお話として後藤さんの中でストックされています。

 

 

今ではお笑い番組で笑いのネタとして披露してるのは、後藤さんがお笑い芸人としてのスキルが高いからでしょう。

後藤輝基さんが股下が短くて短足コンプレックスだった

後藤輝基さんは、足が短いことをきにしていたために、しょっちゅうズボンをあげるくせがあったということです。そんなズボンばかりをあげていたために尿道炎になってしまったことがあるということなんです。これは、お笑いのエピソードとしてストックしておいて問題ないですね。普通に笑えるネタとしていけます。 

後藤輝基の中学時代は、大阪市立東淡路小学校→大阪市立柴島中学校当時の画像

引用yumeijinhensachi.com

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大阪市立柴島中学校に通っていた中学時代の写真は面白いです、何ともいえない雰囲気です。現在のようなイケメンの原型があるので眼鏡以外はいけてるのではないかと推測されますね。中学の頃からお笑い志望だったということでお笑い芸人のにおいのする写真です。高校進学しないでお笑い芸人になってやるといって両親を困らせた中学時代は、問題児ではないですが、周囲が困惑していたということです。下は、山田高校時代の写真なんですが、この時も芸人になるという夢は持ち続けていたようですね。

 

後藤輝基の高校時代、大阪府立山田高校を卒業後浪人、画像

後藤さんは、高校一年生の頃には父親がギターを家に持っていたということで、ギターを弾き始めるのです、当然当時に流行っていた長渕剛さんにあこがれてギターを弾けるようになりたいということで始めたのです。高校2年の夏休みにアルバイトして長渕モデルのギターを購入したということです。お父さんのギターでは飽き足らず自分で一カ月半バイトをして購入したのです。当然今の後藤さんはギターの腕前はなかなかなんですが、このころからギターを始めたということで結構なギター歴になりますね。

後藤さんの出身高である大阪府立の山田高校は当時は中堅クラスですが、現在では偏差値も60を超えてきているようです。後藤さんの当時でも50すぎの偏差値はあったということです。今の芸人の後藤さんは頭のさえるキャラですし、勉強ができないイメージは全くないので、後藤さん自身は勉強のできないキャラではないということで良いと思います。実際に頭の回転なんかはとても速いですね。

 

当時から偏差値は一応50は超えていましたし、勉強はそんなに出来ないっていうわけではなさそうですよね。ツッコミの頭の回転は超スピードですし、地頭は良さそうです。

ただ、後藤さんは漫才のツッコミが苦手であったということで、当初はツッコミが古いやら、おっさんくさい口調でツッコミしているというようなよくないダメ出しを受けていたので、その後結構練習していまのツッコをマスターしたのであると思われます。

 

後藤輝基の大学に行かず浪人を機に勝手にNSC入りした過去

その後後藤さんは、吉本総合学院という大阪では有名な芸人の養成所に入ります。いわゆるNSCというところです。一期生には、ダウンタウン、トミーズやハイヒールなど有名な芸人さんがいたということです。大学に進学することを取りやめて、吉本の芸人を目指すことに方向転換したのです。

大学に進学しょうとしていたのですが、不合格のために浪人生活に入ります。大阪では有名な大阪北予備校というところで受験勉強していたのですが、大学へ行くことを断念したのです。親に許可を得ずにNSCに入ったために、事後報告で親にはなんとかして許してもらったということです。

なんと親に土下座してお詫びしたのです。そこまでしてなんとか許してもらったそうです。昔から芸人になることが夢であることは親も知っていたので仕方なく両親も許したということなんです。

その後に吉本総合学院に入ってからも決して順風であったのではありませんでした。はっきり言ってパットしないできだったということです。しかし、その後に相方である、岩尾望さんと出会ってからは人気出てブレイクすることができました。

後藤さんは芸人としてはイケメンなんだけど、なんか軽くいじられてしまったりしています。司会業なんかもこなせるようになり売れはしましたが、いじられてなんぼって感じのキャラなんですけど、逆にそんなところがお笑い芸人として愛される理由なのかなとか思ったりします。

子どもの頃の写真も含めていじられやすいのもお笑いとしての才能なのだと思います。

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